裏話⑧家電量販店の舞台裏:様々な人間模様

裏話⑧家電量販店の舞台裏:様々な人間模様

人の性格は千差万別、十人十色。

どこの企業でも誰もが尊敬する素晴らしい人材もいれば、会社の人間関係を破壊するほどの危険な人物も存在すると思います。

家電量販店で約10年ほど勤務した私が、これまでに経験した印象に残る仲間や出来事を紹介したいと思います。

お品書き

  • 家電量販店での新入社員時代:最初の勤務地の印象と経験
  • 2店舗目での衝撃体験:Nさんとの驚愕の日々
  • 最後の赴任先:人生の交差点での出会いと別れ

家電量販店での新入社員時代:最初の勤務地の印象と経験

当時卒業した高校の斡旋で、某家電量販店の新入社員としてはじめて勤務したのが住宅街にある支店でした。

当時の約30年前はちょうどウィンドウズ95が発売されたころで、海外製のマッキントッシュや、IBMなどのパソコンも取り扱っていましたが、国内メーカーのNECと富士通の2大巨頭のパソコンが爆発的に売れた、いわゆるジャパンアズナンバーワンの全盛期

あの頃、ほとんどの家電製品はメイドインジャパンで世界一場を席巻していました。

TVはまだブラウン管で画面が4対3の四角形、ビデオはVHSが主流。ムービーカメラには8mmカセットを使い、音楽はCDやカセット式のウォークマンで楽しみ、パソコンではなくリボン式インクを使用した一太郎搭載のワープロで文章を打つのが一般的で、今ではもう見ることのない絶滅商品ばかりの時代。

金曜日のチラシ発行日には、特別価格のTVなど数量限定の商品が多数登場し、開店前の店舗前道路が毎回大渋滞。

そんな中に放り込まれた私ですが、元々家電に興味があったので新鮮な毎日を過ごしていたのをよく覚えています。

この頃は店員も全員が社員で、パートアルバイトはいませんでした。そのため新入社員は雑用、主に掃除や倉庫整理、プライスの貼り付けを行い、手が空いたら店内に出る、という感じでした。

昭和から平成に変わったばかりで、今では考えられないような店員さんが大勢いました。

堅気とは思えない強面の店員が店内から見える事務所でタバコを吸い、耳にボールペンなんていう格好で普通に接客をしていましたが、それが理由でお客様からクレームが来ることもありませんでした。

しかし外見とは裏腹に非常に人間味のある人たちばかりで、聞けば冗談を言いながら何でも教えてくれて、何かトラブルがあったときはすぐに対応を変わってもらえたのを覚えています。

当時新入社員だった私は早く一人前になって迷惑をかけないようにと日々頑張っていましたが最初は失敗ばかり。倉庫整理中に2層洗濯機を運ぼうと持ち上げて勢いでそのままバックドロップしてしまい大破したのにもかかわらず、お咎めもなく、新人ということもあってメーカーさんも快く返品してくれた大らかな時代でした。店員、メーカーさん、警備員さん、と当時はとても忙しかったのですが売り上げが凄かったこともあり、日本の電化製品の明るい未来が私たちの未来だと言わんばかりに同じ目標に向かい、一致団結して仕事が出来た良い時代でした。

当時の接客は今とは違い、お客様の選択基準はシンプルでした。短期間使う商品なら安価な海外製、長持ちする質の良いものなら日本製を選ぶ。そんな時代だったのでお客様は自分でカタログを参考に、機能があまり複雑では無かったこともあって、あまり説明を求められることなく「これください」で商品が次々と売れていきました。それでも忙しすぎて店員を呼んだのになかなか接客されずに帰っていくお客様も多数いたのです。

流石にパソコンやその周辺機器だけは接客が必要で、パソコン知識が豊富な担当者が非常に重宝されていました

私は若かったこともあり当時の担当者から良い意味で目を付けられて、徹底的にパソコンの知識を叩きこまれてメキメキと成長していきました。

新入社員として入ってから2年の歳月が経ったある日、突然の転勤の辞令が出ました。

ようやく慣れて来た仕事と仲間たちに囲まれて有意義な日々を過ごしていたところだったので結構ショックでしたが、断れば違う人が転勤させられると思い、心を決めました。

幸いなことに同じ県内の支店への転勤だったため、引っ越しは免れました。

心機一転、気持ちを切り替え、2店舗目へ向かいます。

2店舗目での衝撃体験:Nさんとの驚愕の日々

2店舗目は住宅街ではなく、国道沿いの2階建ての店舗でした。

ここも忙しい週末になると店舗前に渋滞が作られていましたが、前店舗よりも渋滞が異常に長く、渋滞の件でクレームが来るぐらいで、警備員さんが凄く大変そうでした。

1階が冷蔵庫洗濯機などの白物家電、2階がTVやパソコンなどの黒物家電が展示されており、私は2階へ配属されました。

その中にオーディオコーナーを担当している独身で20代後半のNさんという人がいました。

サーフィン好きで日焼けした肌、他人に気を使わない自由奔放な性格。体格もしっかりしており、外見も迫力満点。店内でもその大胆な態度で目立っていました。簡単に言えば、体育会系の大きなジャイア●のような存在でした。

自分からみて下だと思った店員には言いたいことを言い、めんどくさいお客様に当たると理由を付けて違う店員と変わり、休憩時間は自分の好きな時に入り、店が暇になると倉庫整理している社員と雑談したり、自分の担当の雑用を誰かにやらせたりするは日常茶飯事。

私は当時パソコンの知識が豊富だったため、貴重な人材と思われて一目置かれたのか、あまり無理強いされることはありませんでした。その関係で表面上はNさんとよく話をしていたため、本人から色々な情報を得ることが来ました。

特にNさんは、自分よりも能力が劣る店員を見下していました。中でも寡黙な性格だった40代くらいのKさんは、Nさんから度々パワハラを受ける対象となっていたのです。

最初、NさんとKさんが店を閉めた後、一緒に夕食に出かける姿を見て二人は仲が良いのかと感じていました。しかし、実際は違っていて一緒に食事に行く度にKさんがおごっている様子でした。

Nさんは、夕食だけでなく風俗にまでKさんに支払わせていたという驚くべき事実が発覚。しかし、この悪行も長くは続きませんでした。ついにKさんの親御さんが直接店長にこの件についてのクレームを申し入れるに至りました。この話は社員全員の耳に入っており、Nさんへの厳しい処分が下されるのではと思われましたが、結局「二度としない」という約束のもと、厳重注意で済まされることに。

その理由は、Nさんが上司に取り入るのが得意で、店長の前では従順に仕事をこなしていたからに他なりません。店長も下手に処分をしてNさんがいなくなれば業務に支障をきたすと思ったのでしょう。しかしNさんはこの性格ですから、陰で店長の暴言を吐いていたのは言うまでもありません。実際はお互いの性格をわかった上、暗黙の了解で大人の取引をした、というのが実情でしょう。

その後、少しはおとなしくなったかと思いきや、彼は再び行動を開始しました。今度のターゲットはある自分の担当のオーディオメーカーから来た20代前半のヘルパーの若い女性です。彼は巧妙に彼女に近づき、やがて二人は交際を始めました。この事実を知った私は、ヘルパーさんのことを思うと心から気の毒に思いました。しかし、二人の関係はお互いの同意のもとで進んでいたので、外野としては何も言えない状況です。ただ、何も問題が起こらなければと願っていたその時、ある出来事が起こりました。

Nさん本人から雑談の中で、ヘルパーさんが妊娠しちゃった、という恐れていたことが発覚。しかも会話の中で中絶に結構お金かかるんだよね~という話が出て、私の中でNさんが真正のクズ認定された瞬間でした。

中絶してしまったヘルパーさんが形式上Nさんとまだ付き合っていた時に、新しい彼氏をみつけたようで、その彼氏が一部始終を聞いて怒り心頭。Nさんに対して彼女に二度と接近するな、もし今後彼女と何かあったら訴えると言われたようで、Nさん本人が切れながら話してきました。

Nさんは自分から色々な事を言いふらすおかしな性格だったこともあり、社員間ではNさんと仕事以外ではなるべく関わり合わない空気が出来上がっていました。

Nさんと比べれば、他の社員は協力的かつ友好的な性格です。仕事ではお互いに助け合い、プライベートでは映画やパチスロを楽しんだり、本やゲームの貸し借りをするなど、とても仲の良い関係を築いていました。

そしてこの店舗で3年ほど働いたある日、再度転勤の辞令が出ました。今度は日本の3大都市のひとつに新店舗が出来ると言う事で、主任として向かうことになりました。Nさん以外と離れるのは名残惜しかったのですが、いい経験になると思い決心しました。


私の送別会からの帰り道、たまたまNさんと一緒になったとき、彼から信じがたい告白を聞きました。酔った勢いのNさんが、店内の5人の女性社員のうち2人と関係を持っていたと明かしたのです。

さらに、名前を聞いたその2人のうちの1人は彼氏がいて、同じ職場で一緒に働いており、その人が彼氏だということは社員全員が知っています。外から見れば何も感じさせない彼らの関係に、私は驚きとともに、人の感情や心の動きは表面だけでは測り知れないものだと痛感しました。

そんな心の整理がつかない状況の中、私は引っ越しの準備をして最後の勤務地に向かうのでありました。

最後の赴任先:人生の交差点での出会いと別れ

この3店舗目がこの家電量販店で私が勤めた最後の店舗となります都市部の規模の大きい新規店舗に主任として赴任してきました。

店長、次長、主任が3人、プラス社員が15人ほどの構成で、北は北海道から、南は福岡まで様々な人がおり、全国各地から集まってきていました。新装開店に関わるのはもちろん初めてで、展示からプライス、在庫の発注などを皆で手分けして開店準備を行いました。

社員以外の本社のお偉いさんや、メーカー担当者も加わり、配送、工事業者さんとも打ち合わせを行い準備は着々と進んで行きます。

開店当日は大々的なチラシが出るため、長蛇の列を見越して整理券を配り、通行の妨げにならないように警備員さんとの調整も必要です。

私ともう一人の主任は、開店前に整理券を配る役割を担当しました。想像以上の長い列を目の当たりにし、とても驚きましたが、トラブルを避けるために慎重にお客様の対応をしていきました。

セール期間中は、一日で1千万円以上の売り上げがあったことを覚えています。当時、カードでの支払いが少なく、夜に売上の現金を夜間金庫に運ぶ瞬間は、襲われないかといつもドキドキしていました。

新装開店後はどうなるのか戦々恐々でしたが、他店からの応援、メーカー担当者やヘルパー応援、本社も新店のため在庫確保も優先的に行ってくれて、そこまで大きなトラブルもなく無事開店セールを終えることが出来ました。

店内の落ち着きを取り戻したその数か月後、店長は転勤で移動になり、次長が店長に繰り上がり、私が次長に昇格することになりました。次長になるともちろん給料が上がります。しかしその分責任も重く、負担が大きくのしかかるのが目に見えていましたが、断るわけにもいかず、分不相応と思いながらも辞令を受け取りました。

案の定、日々クレーム処理に追われ、現場に出る事も少なくなり、家電量販店に何のために就職したのかと自問自答する日が多くなってきます。

そんな冬のある日、いつも取引をしている工事業者さんから衝撃のニュースを聞かされました。繁忙期の夏場に私たちと親しくしていたある工事業者さんが突如自らの命を絶ったとのこと。その業者さんはいつも明るく、私たちの要望にも柔軟に対応してくれる頼りになる存在でした。詳しい背景は分からないものの、彼が様々な問題を一人で抱え込んでいたのかもしれないと感じ、自分たちの要求が重圧となっていなかったかと思い、罪悪感を感じずにはいられませんでした。

それから更に数か月後、また訃報が入ってきました。あるメーカーの担当者から電話があり、体格の良い40代男性の常駐ヘルパーさんが突然亡くなったとの知らせを受け取りました。まだ昨日、彼と笑顔で会話していたばかり。彼の急な訃報に驚いたと同時に、行き場のない悲しみを今でも覚えています。

その日の朝、奥さんが夫を起こそうとした際、彼は一切の反応を示さなかったそうです。彼の表情はとても穏やかで、奥さんは彼が深く眠っていると勘違いしていたとのこと。後に、死因は大動脈解離であったことがわかりました。彼が苦しむことなく穏やかにこの世を去ったことは、その悲しい出来事の中で唯一の慰めでした。

また、夏の熱気がまだ残るある日の閉店間際、レジの金額を合わないため、調査をしていたら伝票の不正が見つかったのです。なんと一人の社員が伝票操作を行い、店からの売上を不正に持ち去る横領行為をしていたのです。この社員は非常に有能で仕事をこなす能力も高かったため、彼の行動を知った時、私たち全員が驚愕しました。

その事実が明るみに出た日の夜、店長、次長、主任が集まり、詳しい話を聞くこととなりました。彼が行った横領の背景には、母親の浪費癖があり、彼がその借金を返済するためにこのような手段に出たことがわかりました。事件の真相が明らかになった後、彼は横領した金額を返済。そして、店長の判断により、自主退社という形で会社を去ることとなりました。

その後も色々な出来事がありました。

最終的には会社と自分の将来を重ね合わせ、このまま先に進んで本当に幸せになれるのか?と考え抜いた結果、退職を決意。そんな私にも関わらず、送別会を開いてくれたり、涙を流しながら寄せ書きをしてくれた仲間たちには感謝しかありません。

家電量販店で働いているだけでも日々様々な事があり、はたから見れば平和に思えていても、いつ何が起こるかわかりません。これは人生を生きる全ての人に言える事だと思います。こうした体験を通じて、「明日は我が身かもしれない」という意識が日々強くなりました。

毎日のかけがえのない貴重な一日一日を大切に過ごすとともに、周りに流されず、自分の頭で考え行動する。そして常に感謝の気持ちを忘れずに生きること。これが私の人生をより豊かにしてくれる教訓となっています。

まとめ

振り返ってみればどこへ行っても素晴らしい仲間たちに恵まれ、ともに困難を乗り越えてきた思い出は私の大事な宝物です。

30歳を目前に控えて、自分に嘘をついたまま仕事を続けることが出来ないと思い、会社を辞める決断をしました。そして、その決断を今も後悔していません。

外からの目線で見れば、簡単に逃げ出したようにも見えるかもしれません。事実、私自身逃げたいという気持ちがあったのは確かです。

仲間を置いて職場から離れる事はつらかったですが、何を言っても一度しかない自分の人生です

「行動しなかったことの後悔は日々増していくが、過去の過ちに対する後悔は時間とともに薄れていく」

成功しようが失敗しようが全ては自己責任。

人のせいにしてしまうのはとても楽で簡単ですが、それでは自分の心は一向に成長しません。

この事を肝に銘じて私は今も生きています。

いつかもう少し歳を取ったら当時の仲間と一緒に同窓会みたいなことをやりたいなと切に思っています。

少しセンチメンタルになってしまいましたが、最後まで読んで頂いた読者様、お付き合いいただきありがとうございました。

これからも、皆様の生活を豊かにする家電の情報をお伝えしていきますので、今後も当サイトをよろしくお願いします。